Counselor's soliloquy

独り言・・NPO(特定非営利活動法人)Mental Navi Net「メンなび」を主催しています。 http://mentalnavi.com
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へこむなぁ・・・
 当り前だが・・・


 様々な外界からの刺激が認知、それに基づく感情を呼び起こす。

 







 凛の散歩中、シベリアンハスキーに出会う。


 あれっ?


 いつもなら、自転車とともに颯爽と駆け抜けていくのに、今日はリードに引かれている。



 「今日は自転車じゃないんですか?」


 「足腰が弱っちゃってねぇ。もう15歳なんですよぉ。ウ○チもこれで支えてやんなきゃぁ出来なくなっちゃってねぇ。」と、お腹を支えて持ちあげる布を見せる。









 「・・・そうだったんですか。いつもは自転車なのにどうしたのかなって思ったんですよ。」



 あんなに元気だったワンちゃんが・・・15年、元気な元気なハスキーと共に過ごしてきた記憶と、走れなくなった現実と・・・あぁ切ないよぉ。

 
 この”切なさ”は、(私の)人生のテーマ。










 電車のなかで開いたAERA。


 小西真奈美さんのコメントに目が止まる。


 「旅はどこで立ち止まってもいいし、どれだけ長く感じていてもいい。本当に開放されている時って、光や風も、全然違う感じ方が出来るんです。」



 (そうだなぁ)・・・しみじみと共感する。










 今日は法人の予算作成。

 繰り越しの見込み、収入の見込み、支出の・・・。


 総花的な予算を組む余裕はなく、事業の優先度合いがそのまま予算の配分に反映される。









 人件費が絡む場合もある。

 伝える役目は私。


 いろいろ感じます。








 私の役割はもう少しの間・・・あるのかもしれません。








 English school day today.


 わかってましたよ、香港のこと聞かれるって。

 まぁ、それなりに適当に^^;








 それより・・・(今日から新しいメンバーが加わった。)

 発音はいいし、理解しているし、楽しんでるし・・・


 学校が英語に力を入れていたんだって。

 







 際立つのよね。

 コントラストくっきり、でしょ。


 へこむなぁ。

 俺って馬鹿?

 努力してないしなぁ。


 甘いよな。

 
 岐路に立ったような感じ・・・頑張るか、頑張らないか。

 頑張らない場合は、やめる?






 
 帰宅しても、しばらくへこんでた。

 でも、気分は変わるモノだ。


 だから・・・頑張れない、のかもしれない。





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コメント
>小西真奈美さんのコメントに目が止まる。


> 「旅はどこで立ち止まってもいいし、どれだけ長く感じていてもいい。本当に開放されている時って、光や風も、全然違う感じ方が出来るんです。」



> (そうだなぁ)・・・しみじみと共感する。

へー。

共感ってどういうシステムなんでしょう?

自分と同じ「感情」を持っているから、ですか?

噛み付いているんじゃないんです。

>あんなに元気だったワンちゃんが・・・15年、元気な元気なハスキーと共に過ごしてきた記憶と、走れなくなった現実と・・・あぁ切ないよぉ。

 
> この”切なさ”は、(私の)人生のテーマ。

共感。

なぜ共感が可能なのか?

生まれ老いて病を得、死ぬ。

>様々な外界からの刺激が認知、それに基づく感情を呼び起こす

当たり前なんでしょうか?

例えば、疲れている、空腹である、という「身体の内部感覚」も認知の対象です。

哲学、とりわけドイツ観念論では、「様々な外界からの刺激が認知」することは「感性」と「悟性」に分解分析されます。「身体の内部感覚」も分析対象です。

「感性」外界の刺激に応じて感覚・知覚を生ずる感覚器官の感受性(広辞苑)

「悟性」ヾ鏡によって与えられる所与に基づいて概念を構成する能力(カント)
    ∧枉數‥思考能力としての理性に対して、対象を固定的にとらえ、他との区別に固執する思考能力(ヘーゲル)(広辞苑)

『ヘーゲル用語辞典』より
中世スコラ哲学での分類
理性 intellectus
悟性 ratio

カントは、認識とは感性に与えられた印象を「悟性」が能動的に整序するところに成立するとみなす。対して、「理性」は魂・世界全体・神などの超経験的な対象を取り扱うが、世界のようなものを積極的に認識はできないとする。理性が超経験的な事物を認識しようとすると、不毛な二律背反に陥る。(『純粋理性批判』の「弁証論」)

ヘーゲルは、悟性を形式論理学を基盤としたものと捉え(ここからもうくせもの)、認識主体が対象を分析を加えるものだという。hommaさんの好きな唯物論っぽいですね。
後期ヘーゲル(『法哲学』とか)では、例えば「生」を悟性が捉えるとすると、「死」について考えなければならない。ところが死は生の帰結である。悟性では無限悪循環に陥るので、悟性的思考は破綻する。そのため否定的理性が必要になる。「生」と「死」の例を続ければ、悟性はそもそも矛盾を抱えている(排中律を含ませているところが曲者)ので、否定的理性の段階を経て、真の思弁である肯定的理性に到達する。ライプニッツなんかの言う理性は、悟性的な方法なので破綻しているとみなすんです。


何を言いたいかというとですね、認知から感情が生まれるというプロセスは複雑だ、ということなんですよ。
疲れた、だからうぜぇ、ってのは感性しか使っていないワケですよ。
>あんなに元気だったワンちゃんが・・・15年、元気な元気なハスキーと共に過ごしてきた記憶と、走れなくなった現実と・・・あぁ切ないよぉ
「あんなに元気だった」と悟性が認識して、いやですけれどヘーゲル的に言うと、「走れなくなったんだ」と否定的理性が認識して「切ない」という肯定的理性=感情が生まれているんです。

感情って何ですか?

簡単に「感情に焦点を当てて」ってよく言いますよね?
ところが、感情って、感性、悟性、理性のどれからも生まれるんですね。

こりゃ疲れますよ。

や、簡単に感情を捉えることのできる人はいいんです。

僕の場合ですがね、この感性、悟性、理性って徹底的に仕込まれているんで、「感情」がわからんのですよ。感じ取り、判断するって過程を分析しないと、感じることができないんです。
「感じることはあるだろう」なんて言われると、ただぼーっとしちゃうワケです。hommaさんだったら感情の否認と見なすんでしょうけれども。たしかに否認なんですね。だってわからないから考えられないんですよ。

なんか、「自分の話をしろ。酒での武勇伝ではなく、そのときの感情を明確にしろ」と訓練を受けているんですがね、これがきつい。防御にしかうつらないんでしょうね。防御じゃなくて、困ってるだけなんですけど。

関内ではそんなことを相談していく方向になりそうです。M先生も、「弱ったなぁ…」って顔してました。
| じょーじや〜ん | 2008/03/20 5:58 AM |
>「身体の内部感覚」も認知の対象です。
もちろんですね。

>や、簡単に感情を捉えることのできる人はいいんです。

そういう人になりたいですか?

>だってわからないから考えられないんですよ。

 随分正直だね・・・・私には否認かどうかはわからない。でも、わからないものは考えられない・・・は道理。

 今はね。

 「困る」というのは、変化を求めるのであれば、重要な促進要因ですから、意地悪のようだけど、どんどん困ってください。

 もう一つの言い方では、「自我違和感」を育て、カウンセリングの促進要因に変えていく・・・ですから。

 防衛のスタイルなのか、それとも、培った深さ(才能・知識の集積)なのか。


 どうなりたくて、

 どうなっていくのでしょうね。


 M先生を困らせてますか・・・大物だ!
 


| | 2008/03/20 12:35 PM |
いま、『いやな気分よさようなら』読んでます。
患者にもクライアントにも評判の高い本と聞き、
県立図書館の予算を動かして導入してもらいました(^_^)

その厚さに、最初の2週間は寝かしちゃったんだけど
(→返却期限でしょ!!)、
読み始めたら、目からウロコの面白さですね!

 「認知が感情を決定する」

「感じてしまった方向」には逆らわずに生きてきましたが、
その感じ方が不合理な認知に基づいていたとしたら・・・
(たくさんウチアタイがあるような気も・・・)

まだまだ前半です。いい加減返さないと。
同じ本、自費で取り寄せて蔵書にしよっかな。
| なちゅき | 2008/03/21 9:35 AM |
なちゅきさん

>「認知が感情を決定する」

 そうなんですよね。
 感情は生理的なものですが、その元は、捉え方。

 感情に疑う余地はありませんが、何故今この感情?と、その合理性を検討してみるとおもしろいかも。

 私の場合、怒りなんかは、検討の結果却下されることままあります^^;
 
| | 2008/03/21 4:22 PM |
honmaさん、ご無沙汰です☆

>「旅はどこで立ち止まってもいいし、どれだけ長く感じていてもいい。本当に開放されている時って、光や風も、全然違う感じ方が出来るんです。」

あーこれ、私もすごく共感。
でも「ひとり旅」の時だけかなぁ・・・こういう風に感じることができるのは。
だから一人旅って、好きなんですよね。

人生も旅だとするのなら、立ち止まったり、好きなだけ長く感じていたり、もっとのびのびと自分を開放してあげることができたらいいのにな。そんな風にちょっと思ったりして。

英語は、「不純な動機」を持ってはじめた方が上達するよ、と誰かに言われたことがありました。「外国人の彼氏がほしいから」とかね。
honmaさんも外国人の彼女を・・・って、無理か(笑)

ちなみに私は、動機が純粋なので上達しませんでした。なんてね。
| betty | 2008/03/22 12:30 PM |
Bettyさん 

 なんかうれしいなぁ。コメント。
 ほんと、久しぶりですものね。

>でも「ひとり旅」の時だけかなぁ・・・こういう風に感じることができるのは。だから一人旅って、好きなんですよね。

 そうですね。私も一人だから、です。
 英語の先生も、一人で行ったことを話すと、正解!と。

 一人じゃなきゃ喧嘩になる!と。それは大げさでも、分かるような気がします。


 人生も旅・・・私はそう思うことが多いです。
 自分の人生なのに、立ち止まれない、好きな場所に行けない・・・そういうの嫌です。

 できるだけ、自分の好きな場所へ、好きなときに立ち止まれる・・・そんな人生を歩みたい。だから・・・煙たがられる?

 英語・・・でも、Bettyさんできるじゃん。
 BettYさんのお仲間は、英語出来る人多いですよね。いいなぁ。

 私、本当に恥ずかしいくらい出来ないんです。

 後でよく考えればたんじゅんなことなのに・・・
 スタッグします。汗出ます。

 それでも続けるのは、話せるようになりたいから。

 今日、子供の絵本を買ってきていただいたんです。
 出来ること、やってだめならそのときは・・・あきらめます。

 ながくなりましたが・・・どもでした。

 
| | 2008/03/22 6:12 PM |
>>や、簡単に感情を捉えることのできる人はいいんです。

>そういう人になりたいですか?

この点において僕は「回復したくない」ような気がします。

これは、新しい切り口です。


自分の問題を語る。



というのはミーティングの基本ですが、実は哲学とは自分の問題を、共有できる人と対話していくことでもあります。

依存症のミーティングでは扱えない問いです。けれども、哲学にとっては良い問いなのです。

永井均さんは、

『意識はなぜ存在しないのか?』

という本を出しています。未読ですが。



問いは常に答を凌駕する



これは真理でしょう。
| じょーじや〜ん | 2008/03/25 7:47 AM |
>依存症のミーティングでは扱えない問いです。けれども、哲学にとっては良い問いなのです。


 人間性の回復・・・霊的な成長・・・なんてこといいますね。でも、扱えないとなると、どちらかがおかしなことになってるんでしょうね。

 哲学が哲学者のための学問なのか、「回復」が実は人間性の回復でないのか?


>この点において僕は「回復したくない」ような気がします。

それが知的防衛としてのスタイルでれば、手放す動機には否認が絡みます。〜気がする、は疑ってかかるのもひとつかな。
 また、人はなじみのあるモノを変えたくないモノです。

 そして、変える必要のないモノもありますね。

 青春期、乗り越えるべき対象は誰だったのか・・・
 父?

 ならば・・・当然手放せませんわな。

>あなたの知識とスキルで一番議論したいのは誰でしょうね。

 好き勝手に思い浮かぶことを書き連ねましたが・・・

 独り言ですので。あしからず。



 
 
| | 2008/03/25 11:50 AM |
議論したい相手。


父です。


知的防衛の否認です。

永井均さんも同様の批判を受けています。三浦俊彦さんが『論理学入門』で批判しています。
| じょーじや〜ん | 2008/03/25 4:13 PM |
>人間性の回復・・・霊的な成長・・・なんてこといいますね。でも、扱えないとなると、どちらかがおかしなことになってるんでしょうね。

酒害体験のみを扱い、酒害に至る個人史を語ることが、今は禁止されています。
感情の把握ができないことを語ると、ストップ! 、がかかるんです。「そんなワケないだろう。酒の話をしろ」と。
それはそれでいいのかもしれませんし、できるのですが、どうもうまくいかない。
集団精神療法のルールが、どこまでを許容するか、に問題を感じます。

> 哲学が哲学者のための学問なのか、「回復」が実は人間性の回復でないのか?

人間性、を問うというのは哲学です。

このあたりで、わからなくなります。

三浦俊彦さんの永井均批判は、論理からの批判です。

論理からも感情が生まれます。

ちなみに、

『なぜ意識は実在しないのか』(岩波書店)

でした。
| じょーじや〜ん | 2008/03/26 5:39 AM |
共感できる、というのはなぜなんでしょう?
| じょーじや〜ん | 2008/03/27 11:36 PM |
あなたが納得する説明は私には出来ませんよぉ。
| | 2008/03/27 11:44 PM |
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