Counselor's soliloquy

独り言・・NPO(特定非営利活動法人)Mental Navi Net「メンなび」を主催しています。 http://mentalnavi.com
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”I would dearly love to save the recovering workshop”・・・
 私の勤務する施設は、自立支援法上の施設体系への移行へ向けて、意思の統一が進んでいる。


 毎日、10〜20名ほどの”アルコール依存症””薬物依存症””ギャンブル依存症”からの回復を目指す方々が通所してくる。


 施設は、強制的に移行させられる。
 もちろん、メリットがないわけではないが・・・


あぁ、自・公政権には当然大きなメリットがあるんだけどね。


 施設は『「自立訓練」(生活訓練)・・・障害者に対して、自立した日常生活又は社会生活ができるよう、一定期間、生活能力の向上のために必要な訓練を行なう。
「就労継続支援」・・・働く場を提供するとともに、知識及び能力の向上のために必要な訓練を行なう。』へ、移行する。







 移行に伴い、様々な希望や可能性、逆に悲観や不安もつきまとう。

 何より不安なのは、施設が今までどおり運営できるか?というものである。
 現在、世田谷区および東京都より補助金が支給されている。
 新たな施設体系に移行すれば、費用は国から支給される形となる。

 医療費や介護保険と同じシステムとなり、毎月出来高に応じて請求し、訓練費用が支払われると言うものである。

 「国が責任を持つ制度へ大きく前進した」・・・とうたわれるが、実は違う。と、私は実感している。
 保険制度への一本化に明らかな道筋をつけたのであり、事実上、国が責任を持つという公的扶助の基本原理から大きく舵を切った。

 制度への移行に伴い、多くの施設は混乱し、不安に陥っている。もしくは、複雑すぎてあまり良く理解していない。もちろん、そのメリットを最大限に生かし、順応するしかないのだが・・・






 東京都及び世田谷区は、施設が移行すれば補助金の支出が国に変更されるため、今までの補助金支出が大きく減額されることになる。
 にもかかわらず、支出を極力削減する方向で検討に入っている。
 
 まずは・・・区の補助金を支出するのだから、区民以外の訓練にかかる費用の支出は削減する。

 したがって、区外からの通所訓練者の割合によって補助金を按分することになり、その具体策は秋頃示される。

 
 ここでも、一見分かりやすく、納得してしまいそうなフレーズが繰り返される。


 昼食費や交通費はゼロ支給が決定、さらには家賃補助も減額の方向だ。
 
 家賃補助が減額されれば、運営はおぼつかない。
 
 まさか・・・運営を断念することにはならないだろう・・・しかし、そうならない根拠はどこにも無い。もちろん、「障害者自立支援法」のメリットを最大限に生かして、さらなる発展を目指すのだが。






 社会へ目を向ければ、障害者の自立をうたった「障害者自立支援法」が成立したのは、小泉政権下。

 「だって、ない(財政)袖はふれないでしょう」と、一見分かりやすく、納得してしまいそうなフレーズが繰り返され、後期高齢者医療制度や、年金問題など社会保障関係費用は自民・公明両党による強行採決の結果、軒並み削減となった。

 三位一体といいながら、結局特定財源は見直されること無く、第二東名を代表に道路は作り続けられ、地方には利用率の半端じゃなく低い空港が整備され続ける。

 われわれは(庶民・社会的弱者と呼ばれる層)、戦後最大の景気拡大の恩恵を実感することなく、一方、様々生活に密着した雇用・医療・福祉・教育などの費用が削減されるなか、今度は、バブル崩壊以上の不況へ突入しようとしているという理由のまえに、物価は高騰し、保険料は強制的に天引きされ、受給は引き下げられ、あらがうすべを知らず、無力に打ちひしがれ、ただただ受け入れるのみである。


 これでは・・・酒を飲むしかあるまい。酔いによって、一時でも忘れるしかないではないか。
 
 

 一体いつになったら・・・なのである。







 話は変わるが・・・
 
 施設運営が厳しくなれば、当然施設に通所してくる方々への影響も避けられない。
 
 家賃補助が削減されれば、運営はおぼつかない。

 世田谷区の説明では、身体障害者施設や知的障害者施設は区がその業務を委託しているのであり、当然、家賃などの削減は無く、逆に、精神障害者施設は・・・自立するまで応援してきたが、いつになったら自立するのですかと言われる。これじゃぁまるで「障害者施設自立支援法」だ。
 
 精神障害者は何故委託業務ではないのか。
 これを書き出すと長いのでやめるが・・・。

 精神障害者の受け皿がなくなることが社会へどのような影響をあたえるか?
 病気の性格から、家族から愛想を尽かされ、社会から相手にされなくなった方々は、行き場所を失い、病院や施設にたどり着く。もちろん、違う方々も大勢いる。

 
 愛想を尽かされ、文字通り誰からも相手にされなくなった姿は、病気故の帰結であり意志や性格の問題ではなく、病気であるからこそ、回復するのだ、という視点で改めて見直せば、寂しさを抱え、よりよく生きようとすればするほど、依存対象にのめり込み、さらに独りぼっちになっていく構図が見て取れる。



 「独りぼっち」と「孤高」は一線を画すものであり、「独りぼっち」は受容不能であり、人を欲するも裏切られる期待、それは怒りへ発展する。

 理不尽であろうとなかろうと、人とはそういう生き物のようである。

 
  その怒りが内に向かえば”自傷・自死”であり、外へ向かえば”他害”。






 どうなんでしょうね。
 

 昨今の痛ましい事件との関連が、人間関係の寸断(社会連帯)にあると断言するほどの材料を持ち合わせないが、私は、関連性があるのではないか、と思っている。


 「自殺企図者」の研究から、”独りぼっちにしない”ということがそれを防ぐ手だてになりうるとの示唆を得たが、実は、我々の間では以前から言われている当たり前のこと。


 カウンセリングのの基本は

 受容的
 
 非審判的

 傾聴・・・



 人に関心が向く社会であって欲しい。



 なんだかとりとめなくなってきた・・・・・

| - | 09:19 | comments(2) | - | ↑PAGE TOP -
コメント
recovering workshop か…。
honmaさんの愛する仕事。


仕事を愛して、真摯に取り組めるのは、
とても倖せなことですよね。

だけど、個々人のこれまでの努力とかを、
覆いつくすような大きな流れ。

信念を保って足掻きつづけても、
無力感とか… 徒労感とか…


人ですからね。
私も 時に。
| なちゅき | 2008/08/02 4:11 PM |
そうですね。

そして、それでも人は生きていく・・・。

人ですからね。
| | 2008/08/04 12:28 AM |
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